井上紘子さんインタビュー

ロシアで活躍する世界的なオルガニスト

日本人としてロシアのカリーニングラード州立フィルハーモニーで長年ソリストとしてご活躍される井上紘子さんにインタビューいたしました。

プロフィール

大阪出身。
京都市立芸術大学ピアノ科を中退し、モスクワ音楽院ピアノ本科入学しロシア人民芸術家であるナウム・シュタルクマン教授に師事。最優秀賞にて卒業し、同大学院ピアノ科修了。

モスクワ音楽院在籍中にオルガンと出会いアレクセイ・パルシン教授に師事。文化庁奨学生制度にてオランダのプリンス・クラウス音楽院にてテオ・エレマ教授に師事。歴史的楽器に出会い伝統的なオルガン奏法を学ぶ。同音楽院卒業。

2006年よりカリーニングラード州立フィルハーモニーにて専属オルガニストを務める傍らロシア国内外にて多くの演奏活動を展開。レパートリーは幅広くバロックから現代曲まで精力的に取り込んでいる。邦人作曲家の作品も頻繁に演奏し、特に藤掛廣幸のオルガンとオーケストラのためのアクアリズムのロシア各地での演奏は大きな反響を呼んだ。

2016年からは3年間グネーシン音楽学校にて教鞭を取り、多くの有能な若手オルガニストを輩出した。

数々の国際オルガンコンクールにて優勝、受賞。2020年にはオルガニスト・オブ・ザ・イヤーにて”文化の架け橋“賞受賞。

多くの国際オルガンコンクールの審査委員も務めている。

 

パイプオルガンに興味を持たれたきっかけを教えてください。

子供の頃よりバッハの音楽が大好きでした。「ポリフォニーという音楽の技法は存在する音楽言語の中で頂点にある」と常に思ってきました。

バッハの音楽とポリフォニーは切り離せないものですし、彼の未完成作品である”フーガの技法” を超える作品は未だ作曲されていないと言っても過言ではないでしょう。またそのポリフォニーの素晴らしさを最大限に表現できる楽器であるオルガンはバッハの音楽と切り離せないものです。大きな言い方になってしまいますが、バッハの音楽が私をオルガンに導いてくれたのだと思っています。

日本で暮らしているとパイプオルガンに出会う機会は少ないように思います。どこで習われましたか?

生でパイプオルガンを聴いたのは、1998年の夏ハンガリーのブダペストで行われていたダイアナ妃追悼コンサートでの事でした。モスクワ音楽院入学のための学生ビザへの切り替えで、数週間ハンガリーに滞在していた時でした。天から降りそそぐような美しい音と音楽に身が震えました。日本ではもちろん、ヨーロッパでもオルガンという楽器自体の存在は私にとっては遠いものでした。演奏会場では美しいながらも威圧感のある常に扉の閉じた楽器を目にしていましたし、教会ではバルコニーに楽器が設置されている事が多く、とても私などが近付ける楽器だとは思っていませんでした。しかしモスクワ音楽院2年生の時に窓から流れ出てきたオルガンの音に導かれ私の足は一直線にオルガン教室に向かっていました。そこで私の恩師となるアレクセイ・パルシン教授と出会い、ピアノ科に在籍していたにもかかわらずオルガンに没頭する事となり、オルガンとの出会いは私の人生を大きく変えました。モスクワ音楽院卒業後はカリーニングラードフィルハーモニーでの専属オルガニストに招かれ国内、海外にて多くの演奏の機会を与えられてきました。また北オランダでのマスタークラスで出会った素晴らしい歴史的楽器の数々とその楽器の奏法を熟知されておられる先生方、演奏家に出会い、歴史的楽器とその奏法を北オランダで研修したいという願いが叶い、文化庁奨学生制度にて一年、その後4年間北オランダのプリンス・クラウス音楽院にてテオ・エレマ教授の元で研鑽を積む事ができました。この様な経過で自分の奏法の基盤となるヨーロッパの伝統的奏法、ロシアピアニズムを良い意味でベースとするオルガン奏法を獲得できたと思います。

 

オルガニストとしての活動内容を教えてください。また、パイプオルガン以外の楽器も演奏されますか?

オルガンが教会楽器であるヨーロッパでは主に夏にオルガンフェスティバルやコンサートが企画され、ソロやアンサンブルでの演奏会に招かれそれぞれの楽器に合わせプログラムを作り、演奏させていただいています。それに比べオルガンがコンサート楽器であるロシアでは一年中オルガン演奏会が企画されます。特にフィルハーモニーというと日本ではオーケストラのイメージがあるのですが、ロシアでは国や市の公共の音楽機関という捉え方で、それぞれのフィルハーモニーには専属オルガニスト、ピアニスト、ソリスト、室内楽オーケストラ、交響楽団、民族楽グループなどが所属しています。私が2006年から所属しているカリーニングラードフィルは一年にオルガンコンサートが60回以上開催され、オルガンコンサートはフィルハーモニーの催しの中で特に重要なものとなっています。カリーニングラードが第二次世界大戦前ドイツ領だった事もあり、オルガンはカリーニングラードという土地に深く根付き、小さな町にもかかわらず9台のパイプオルガンが様々な場所に設置されています。その様な状況がロシアの各主要都市にあり、年間に私の今のロシアでの演奏活動状況は40回ほどのソロコンサート、また40回ほどのオーケストラやソリストを含めたアンサンブルでの演奏会を行っております。最近は “オルガンプラス” というオルガンとオーケストラ、ソリストという形のコンサートが人気で特にサクソフォーンや尺八と言った珍しく新鮮なコラボには沢山の聴衆の方に足を運んで頂いています。

オルガン以外にはピアノを弾きますが、演奏会はモスクワ音楽院卒業以来ほとんどオルガンで行っています。

 

ロシアへ移住されたきっかけや日本とロシアの生活の違いなどありましたら教えてください。

京都芸大のピアノ科に入学したものの、自分が希望していた音楽の勉強法や音楽生活は得られず、音楽をやめようかと思った事もある日々が続いていました。

ある日、京都芸大で日本にモスクワ音楽院支部があるということを知り、

小学校の頃に読み聞きして憧れていたモスクワ中央音楽専門学校の事を思い出しました。早速モスクワ音楽院のサマースクールへのオーディションを受けたところ、「あなたにはロシア魂がある。ロシアで勉強しなさい」という言葉をアレクサンダー・セメツキー教授から頂き、最後の望みをかけるような気持ちでロシアに渡航しました。

恩師のナウム・シュタルクマン教授との出会いでモスクワ音楽院入学を決定しました。

生活の違いは大きく、日本では想像できない様な事態が常に良い意味でも悪い意味でも起こりますが、多くの方々に助けられてここまでやってこられた事に感謝しております。

 

藤掛廣幸のアクアリズムは1998年に作曲されてから13年間もの間初演されないで眠っていたのはご存知ですか?また、アクアリズムを演奏されたきっかけを教えてください。

 全く知りませんでした。またその事実に驚きを感じます。ロシアのフィルハーモニーでソリストとして働くという事は常にレパートリーの変化を求められます。カリーニングラードフィルハーモニーには素晴らしい室内オーケストラが所属しており、毎年最低2回は一緒に演奏しておりました。室内オーケストラとオルガンという特に現代作品においては数少ないレパートリーの中で新しい曲を探していたところ藤掛先生のアクアリズムに行き当たり、数小節聞いただけで心を揺さぶられました。2012年にカリーニングラードフィルハーモニーにて企画された東日本大震災追悼演奏会でも演奏させていただき、大きな反響を呼ぶこととなり、多くの聴衆の心を捉える数少ない貴重な現代作品だと思っています。

サラトフ音楽院 2021年4月28日演奏

ウクライナでの演奏会 (オデッサ・オペラ・バレエ劇場)

今までに演奏させていただいた都市
ロシア
カリーニングラード
ペテルブルグ
モスクワ
ハバロフスク
サラトフ
ソチ
ペトロザヴォツク
カザン
スモレンスク

ウクライナ
オデッサ

 今後の目標などありましたら教えてください。

オルガンというオーケストラに相当する楽器を通じて、伝統、空間、時代の変化を汲みつつ新しい響きと可能性を演奏家として探求していきたいです。音楽は人種、宗教を超え人々の心に直接響くものです。さらに研鑽を積んで演奏を深めていきたいです。またモスクワグネーシン音楽学校で3年間教えた経験を活かし、若手の才能ある演奏家の演奏会の企画、サポートも続けていきたいと思っています。