サー・ジェームズ・ゴールウェイ

藤掛廣幸とサー・ジェームズ・ゴールウェイとの出会い

藤掛廣幸が一番最初にゴールウェイ氏と出会ったのは1988年です。藤掛氏がロンドンに住んでいた頃にロンドンのRCAレコードへ彼の交響曲などの作品をプロデュースしてもらえないか打診したのがきっかけでした。そこでプロデューサーをしていたのがラルフ・メイス氏で彼がジェームズ・ゴールウェイを藤掛氏に紹介してくれました。当時の藤掛氏はオーケストラによるシンフォニックな曲やバレエ音楽、オペラ等の大作に注力を注いで作曲活動をしていた時期で、現代に生きる新しい総合芸術としてミュージカルの作品こそが一番ぴったりとくる分野との確信のもと勉強のためにロンドンに住んでいました。フルーティストの方と仕事をすることになるとは当時想像もしておらず、ラルフ・メイス氏がいなかったらサー・ジェームズ・ゴールウェイとの共演はなかったのではないでしょうか。(詳しい内容は当時を振り返るラルフ・メイスからの手紙の翻訳をご参照ください。)

Hiro & Sir James Galway

 

 

妖精の森

全米ビルボード誌のクラシカル/クロスオーバー・チャートで5ヶ月間ベストテン入り(ベストランキング:第2位)を記録したアルバム。

The Enchanted Forest CD

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サー・ジェームズ・ゴールウェイ氏の自叙伝である「黄金のフルートをもつ男」の前書きの中で藤掛廣幸氏とレコーディングした「妖精の森ー日本の幻想」のアルバムは大のお気に入りで、アルバムを聴くと美しい日本の思い出が心に蘇ってくると記載されています。

藤掛廣幸氏の作品と日本の民謡をオーケストラとソロ・フルートでアルバムにしたいので、全てのアレンジを担当してほしいという話でこのプロジェクトは進んでいましたが、打ち合わせを重ねて曲目の絞り込みをしていく中でフルート以外は全てシンセサイザーでやろうということになり方針が転換されました。オーケストラでやるよりシンセサイザーでコラボレーションさせた方が斬新で面白いということになったようです。藤掛廣幸氏の多くの作品は壮大なシンフォニックスタイルのものが多いので、ゴールウェイ氏のフルートの繊細な音色を活かすには、相応しくないとのことで、藤掛氏がテレビ番組用に作曲した曲やバレー音楽の小品の中から多く選曲されています。全曲アレンジと、シンセサイザーのプログラミング及び演奏は藤掛氏が担当しましたが、レコーディングが進行していくにつれて「水の音や小鳥の声も入れようか」とか「生ギターやベースの音も加えたらどうだろうか」という話も出てきて、ジミー、ラルフ、ヒロの3人による共同作品でこのアルバムが完成しました。

音楽の妖精たちが住む森で森林浴をしているイメージを感じていただける仕上がりになっています。

 

ひばりは高らかに

国境を超えて結びついたゴールウェイ&ヒロの友情で誕生した第二弾のアルバム。

1988年録音の「妖精の森/日本の幻想」にて絶妙なコラボレーションの結晶を世に送り出したゴールウェイと藤掛廣幸、そしてプロデューサーのラルフ・メイス。この3人の友情が再び結実し、ついに「妖精の森」の続編が出来上がりました。

プロデューサーのラルフ・メイスより「フルートとシンセサイザーによるアダージョ・アルバムを作りたいが、どう思うか?」と藤掛氏へ電話があり、藤掛氏が「アルビノーニやバーバーのアダージョなど、きっと素晴らしいアレンジができると思うよ」と答えたのが、このアルバムの始まりです。レコーディングは1992年2月、夏のオーストラリア・シドニーで行われました。その後、藤掛廣幸のスタジオで3日間かけてラルフ・メイスと一緒に仕上げました。最終のミックスはニューヨークのスタジオで行われました。
ジェームズ・ゴールウェイから、2枚目のアルバムのレコーディングに際して「この曲を取り上げたい」とオリジナルの楽譜を本人から渡されました。楽譜に目を通した所「このままの音域ではフルートのソロを生かす事が出来ない」と悟った私は「3〜4度音域をあげた方が良いと思う」と言いました。「エッ!ドビュッシーの名曲を変えるのか?」と真剣な眼差しで問い正しました。私は「大丈夫。彼(ドビュッシー)は土の中に眠っているから・・・」と冗談で応じてから「このままの音域だと、あなたのフルートの魅力を100%生かす事が出来ないので上げた方が良い」と答えました。「ハーモニーは絶対変えるなよ!」と言われましたが「OK 私を信じて任せてくれ」と答えてアレンジしました。本番のレコーディングはオーストラリアのシドニーのスタジオで行われました。スタッフ全員「どんな形になったのか?」と緊張した面持ちでしたがレコーディングが終了すると立ち上がって「ブラボー!」と大きな拍手。ドビュッシーには申し訳ないけれど3度上げて書き直した事が効果的な結果を生みました。
アメリカ発売2枚目のアルバムのオーバーダビング中のショットです。


藤掛廣幸氏とラルフ・メイス氏。藤掛廣幸のスタジオにて。

フルート・木管楽器

音楽プロデューサー:Ralph Mace(ラルフ・メイス)からの手紙(翻訳)

ラルフ・メイスはイギリス、ロンドンにある王立音楽アカデミー(Royal Academy of Music)を卒業し、当初はEnglish Royal Ballet Companyで音楽を担当していました。1970年代より音楽業界に入り、デヴィッド・ボウイの”The Man Who Sold the World”のアルバムでモーグ・シンセサイザーを担当後、クラシック音楽のアルバムを150以上手掛ける音楽プロデューサーとして活躍されました。藤掛氏とは30年ほど交流がありました。

初めてヒロ・フジカケに会った当時のぼくは、ロンドンのRCAレコードでクラシック音楽のディレクターをしていた。彼は権威あるエリザベート王妃国際音楽コン クールでグランプリを受賞していて、クラシックのジャンルの彼の作品を、我々がレコーディングする気はないか打診するために、ぼくのオフィスにやってきた のだった。今は現代音楽を出すことにほとんど関心がないことを彼に説明し、それ以外のもので何かないかたずねた。彼はシンセサイザーで演 奏して録音した軽めの曲の入ったカセットをかけた。その1曲目が『妖精の森』だったのだが、ほんの2、3小節を聴いただけでぼくの目は輝き、大変な逸品を 見つけたことを知った。ヒロの曲はジェームズ・ゴールウェイにぴったりだと、聴いたとたんにぼくにはわかった。

1988年3月13日、東京のサウンドバレー・スタジオで、我々全員が顔を合わせた。それ は、いくらか緊張した会合となった。ジェームズとヒロは初対面だったし、我々はそれまで一度もシンセサイザーだけの伴奏でレコーディングしたことがなかっ た。そのシンセサイザーはすべてヒロひとりが演奏するのである。我々はローランド・シンセサイザーをセッティングし、ジェームズの頭にヘッドフォンをかぶ せると、彼のための最初の曲を演奏した。スタジオの雰囲気は、たちまち生き生きとして信頼に満ちたものになった。ジェームズとヒロは、一流のミュージシャ ン同士ならそうなるように、ふたりでする仕事を楽しんだ。それ以来ぼくらはとてもいい友だちになった。

その結果は『妖精の森』のCDで今も聴くことができる。これまで何百万もの人たちを楽しませてき たアルバムだ。『妖精の森』は非常な成功をおさめ、それに続くものが求められた。

1992年、 ジェームズがコンサート・ツアーを行っていたオーストラリアのシドニーで、『ひばりは高らかに』をレコーディングした。

今度のアルバムでは、トラディショ ナルとクラシックの曲をやることにして、アイルランド民謡(タイトル曲)を入れ、クラシックの曲は、アルビノーニの『アダージョ』から、ボロディン(弦楽 四重奏のための美しい『夜想曲』)、ショスタコーヴィッチ(“The Gadfly”から『ロマンス』)、そしてフルートとシンセサイザーのために非常に独創的なアレンジをほどこしたドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』 にまでわたっている。アルバムはまたしても成功をおさめた。演奏者としてもトラディショナルな曲のアレンジにかけても、ヒロが卓越した技量を持つことを、 アルバムは余すところなく示している。それだから、偉大な作曲家たちがもしも現代に生きていて、シンセサイザーで演奏するために曲を書いたと したら、当然こんなふうになるだろうというように聞こえるのだ。ぼくが見るに、ヒロ・フジカケが音楽で成功をおさめたのは、演奏者として、また編曲者としての技量を通してなのはもちろんであるが、とりわけそのすばらしい生来の作曲の才能によるところが大きいと思う。

それは“神から授かった”ものにちがいない。なぜならそれは教わることができないからだ。【Ralph MACE】